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Data
- 築城年: 1416年〜1422年
- 廃城年: 16世紀
- 城郭タイプ: 山城
- 天守タイプ:
- 築城主: 護佐丸
- 主な城主: 護佐丸
- 関係する武将:
- 主な遺構: 石垣、郭
- 主な石垣のタイプ: 野面積み 切石積み※布積み、相方積み(亀甲乱積み)
Map
Record
攻城日時
攻城手段
攻城記録
沖縄県の続100名城、座喜味城。15世紀初めに築城家として名高い護佐丸によって築かれた。護佐丸は読谷山地方を治める按司で、尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦し、琉球初の統一国家成立に重要な役割を果たした。城壁は上から見ると曲線を描く特徴があり、出入り口にはアーチ石門がある。天井にはくさび石があり、他のグスクには類例が見られない。
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護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志(ちゅうざんしょうはし)の北山城(ほくざんじょう)攻略に参戦。北山攻略後は戦後処理のため一時北山城にとどまったといわれ、その間に座喜味の地へ築城を開始したという。城跡は座喜味部落北側の小高い丘、標高120mの名護層からなる台地を石灰岩の切石積(きりいしづみ)で取り囲んで築かれており、城は2つの郭からなる進郭式の形態になっている。城郭内の面積は約4012.51uで、沖縄のグスクとしては中規模である。
この城には一の郭とニの郭にアーチの門がそれぞれ一つずつ造られているが、アーチ石のかみ合う部分、門の表と裏両面にクサビ石がはめられており、他のグスク等には類例がみられない。このことから座喜味城のアーチ石門が、現存する沖縄のアーチで最古のものと見られている。
さて、座喜味城。沖縄3日目。予定では美ら海水族館→今帰仁城→古宇利島という予定だった。車での遠征にまだ不安があるという理由で、90kmある水族館に一気には行かず、那覇市から30キロほどにある座喜味城に寄らせてもらうことに。朝食を7時過ぎに食べ、前日からホテルの駐車場にあるレンタカーで8時頃出発。9時には座喜味城跡のユンタンザミュージアムに到着。
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勝連城同様にここもやる気があり立派なガイダンス施設。同じ続百でもお金がないのかやる気の感じられない関東の続百に見習ってもらいたい。やはり世界遺産登録されると予算も出て結果好循環が生まれるのだろうか。新しくきれいで立派だった。ちなみに座喜味城のある読谷村は日本一人口の多い村らしい。時間帯もあってか、観光客はほとんどいなかった。さて、グスクへ。ユンタンザミュージアムから歩いてすぐにある。
滑らかで立派な城壁と石門がお出迎えしてくれた。ここも護佐丸が築城。やはり、中城と似ているし、勝連とも似ている。似ているが、勝連には石門は残っておらず(?)、中城の石門より座喜味のは位置が高く階段で登り通過することになる。そんな違いかな。石門の内側には柱穴があり、往時をあれこれ想像できる。廓を進む。両サイドに高い城壁の緑の地面、奥には青い海と空。沖縄のグスクはどれも美しいのだけど、ここもきれいだった。時間もなく9時半駐車場に戻る。
この後美ら海→今帰仁城という予定。